平成25年2月13日(水曜日)
当社の活動状況→本日の工事進捗状況
今日は誕生日でした。
47歳になったワケですが、
まあ、このぐらいの年齢になると特に嬉しくも悲しくもありません。
また一つ年齢を重ねたか・・・と思うだけです。
3年後、50歳の大台に乗る時には、
もしかしたら多少は何か感じるものがあるのでしょうか?
40歳の時には特に何とも思わなかったですけど。
とは言え、
30歳の時は、ちょっと感じるものがあった気がします。
ちょうどその2週間前に長男が生まれたばかりでした。
父親になるのと、ほぼ同時に30代に突入したワケです。
それまでの『若者/青年』というカテゴリーから、
急に『壮年』カテゴリーに昇格させられちゃった・・・みたいな感覚でした。(笑)
辞書をひくと、
『青年』=青春期の男女。10代後半から20代の、特に男子をいうことが多い。わかもの。わこうど。「―実業家」
『壮年』=心身ともに成熟して働き盛りの年ごろ。また、その人。壮齢。
とあります。
日付が変わって1歳年齢を重ねただけで、
急に人間そのものが変わるワケもないんですが、
自分の中で、30代というフレーズと『壮年』のイメージがぴったり重なって、
そうか、オレも今日から30代なんだな・・・と、感慨深いものがありました。
でも、30歳になった時だけですね。
あれ以来、誕生日に特別な想いを抱いたことはありません。
それよりも、この歳になると、
たまに自分の年齢がわからなくなって困る時があります。
今日もインターネットの年齢早見表で自分の歳を確認する始末です。(苦笑)
もちろん、完全に忘れているワケではないのです。
あれ? 今オレ、46だっけ、47だっけ?
と、ちょっと数字の迷子になる程度なんですけど・・・・・・・・
子供の頃、
親戚とかが集まった席で、オジサンやオバサン達が、
自分の年齢が言えなかったり、間違って答えたりしていました。
僕は、傍でそれを聞きながら、
子供心に、この人たちは冗談でやってんのか、
それとも本当のバカなのか、いったいどっちなんだ?と、思ってました。
冗談だとしてもちっとも面白くないし、
本当のバカだとしたら相当なモンだし、
どっちにしても残念な人たちだな・・・
と、上から目線で考えてしまうヒネくれた子供でした。(笑)
で、今、
自分自身がそんな残念な大人になってしまっているワケですが、(笑)
ようするに、子供の1年と大人の1年の違いなんですね。
5歳の1年は人生の20%だけど、50歳の1年は人生の2%ですから。
20%は大きいけど、2%なんて誤差の範囲ってことです。
さて、結局のところ何を言いたいのか、
自分でもよくわからなくなってきましたけど、
確実に言えるのは、
今日47歳になったということ、
そして来年の今日、生きていれば48歳になるということ。
それから、46歳だった昨日と47歳の今日に大きな違いはないということ。
つまり、数字の変化でしかないのです。
大切なのは、今この瞬間をいかに生きるかなんでしょう。
こうして自分が生かされている限り、
この世界の中で自分が生かされている間は、
自分に与えられた役割に全力でぶつかっていこうと思っています。
人は必ず死ぬ、誰でも1度だけ死ぬ、
生まれてきた瞬間、いつか必ず死ぬことが約束されている。
だから、よりよく死にたい。そう思うのです。
よりよく死ぬことこそが、よりよく生きることなんだろうな、と・・・
そんなことを考えた47歳の誕生日でした。
あれ?、48歳だったっけ?(←これは冗談です・笑)
ではでは。
僕の著書です→『自分を磨く「嫌われ仕事」の法則/経済界
興味がある方は是非読んでみてください。